神仏が宿る
先日、香取神宮(かとりじんぐう)を訪ねてきた。
千葉県の北部、全国400社(同神社)の総本社とされる大変に格式の高い神社。
鹿島神宮(かしまじんぐう)・息栖神社(いきすじんじゃ)とならぶ東国三社の一社でもある。
その昔、東方一帯を防衛するための重要な要の地とされてきた。
平安時代に栄えた物部氏や藤原氏の氏神でもあった「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」が「国家鎮護の軍神」、御祭神として祭祀されている。
霞ヶ浦や利根川の「水」のもつ不思議な、そして、偉大なる力をも秘めた霊験あらたかな神霊地。
全国いろいろとあるパワースポットの中でも、ひときは群を抜いているように感じる。
古くから、我が国では新しいものと、既存のものとが融合してきた。
日本古来の神々は・・・実は私達すべてを救わんと仏がその姿や形を神に変えて出現したもの(本地垂迹説)。
現在も、たくさんの参拝者が全国から同地に足繁く通い訪れる。
森羅万象、すべては同じ本源、本来、国境も、人種も、天国や地獄も、極楽や奈落も、争ったり、欲張ったり、飢えることや悩むこと、悲しむこと、差別をしたり、区別をしたり、分け隔てしたりすることのない、何ひとつ囚われることのない境地に神仏が宿るのかもしれない。
それは、我々の日々の暮らしの中に、何気ない日常の中に、平凡に思う出来事の中に。
合掌
皆さん、おはようございます。
先日は、成田山新勝寺や香取神宮等を参拝させていただいてきました。
前述したように、我が国には「本地垂迹説」(ほんじすいじゃくせつ)があります。
仏・菩薩(本地)が、衆生救済のために神(垂迹)の姿をとって出現してくるという説です。
我が真言宗では、「両部神道」(りょうぶしんとう)といって宇宙の顕現である大日如来と神々との神仏習合を同じく説いております。
詳しくは、また法話会等でいろいろとお伝えできればです。
なお、当方の瞑想会や法話会はどなた様でも自由にご参加いただけます。
宗派宗門は一切問いません。
それに、宗教的な勧誘等も一切ございません。
瞑想や、仏教を楽しみながら触れ親しんでいただければと思っております。
今月は休講しますが、是非9月は東京・大阪・神戸で開催しております。
是非、たくさんの皆様方のご参加を楽しみにしております。
追記 最近、瞑想会や法話会用に「天宮光啓 フェイスブック」(ページ)を開設しました。
まだ始めたばかりで不慣れなことも少なくございませんが、今後はそちらの方でもいろいろとご案内してまいります。
ご興味のある方は是非一度のぞいてみていただければ幸いです。
光啓 九拝
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