神仏が宿る道
早いもので、先々週の四国の歩き遍路から十日近くが経った。
ふと、三年前にも同じく歩き遍路で四国を一巡したことを思い出す。
その時も、食べること、飲むこと、寝ること・・・
どれひとつをとってみても、いろいろなことに不自由を感じ、難儀した。
三年前の歩き遍路では、第23番札所「薬王寺」から室戸岬を目指した時、
夕方近くまでその日の宿がなかなか決まらず大変焦ったことがあった。
そんな折りにお世話になったのが、民宿「大砂」さん。
ご主人さんのニッコリ「和顔施」(笑顔)と、女将さんの美味しい手料理が、その日くたくたになった心や体にまた新たなる「力」を、「勇気」を与えてくださった。
翌朝、まだ日が昇らぬうちにそっと宿を後にしようとした時、
ご主人さんと、女将さんが玄関先までわざわざ見送りに出てきてくださった。
その時、女将さんが「はい、どうぞ」、と「お弁当」を手渡してくださった。
しばらく、まだ薄暗い道をどんどんと進み・・・ 潮騒の聞こえる海岸線にたどり着いたとき、見晴らしの良い場所をみつけて腰を下ろした。
先ほどのおにぎりを口いっぱいにほおばりながら、亡き母の言葉を思い出した。 「おにぎりは”鬼切り”、鬼(魔)を切り(払い)、無病息災、無事を祈る」・・・ 旅の無事を祈って・・・ 人は、誰もが皆、一人では決して生きてはいけない。
誰かの、何かの恩恵をいろいろと受けて、授かってこの命が、今ここにある。
そのことを忘れてはならないように思う。
報いなければならない恩がある。
四恩に深く感謝するその心にこそ、霊性が、神仏が宿るのかもしれない。
人生には、苦しいこと、悲しいこと、気が滅入ること、落ち込むこと、けっして、楽で心弾む道ばかりではないけれど、
激しく雨が降った後に、やさしく大空を彩る美しい虹がかかるように、心が晴れ晴れとする時も必ずやってくる。
また、四国の道を、お遍路へと出かけてみたい。
お世話になったあの方々へのご挨拶。 「報恩謝徳」(ほうおんしゃとく)。 お遍路は、恩に報い徳に謝す、
恩徳に感謝する道、
思いやりの道。
神仏が宿る道。
合掌
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皆さん、こんにちは。
先の四国の歩き遍路から早いもので約二週間近くが経ちます。
今年は、特にお盆が過ぎたというのに、例年にないほどの酷暑、
準備をして臨んだつもりでしたが、大変厳しく非常に長い道程となりました。
今回の宿泊先は、ビジネスホテルや民宿等にて一夜の宿をお世話になってまいりました。
最後の結願の地、足摺岬では、民宿「田村」さんにてたくさんの心からのおもてなしを。
翌朝、ご主人さんと奥様が手製の巾着にはいった「おにぎり」をそっと手渡してくださいました。
三年前の民宿「大砂」さんでも同じように女将さんからおにぎりのお弁当をいただいたことが。
亡き母の言葉を思い出しながら、口いっぱいにほおばらせていただきました。
いつまでも、いつまでも、お元気で。
また、いつか、いつの日にか必ずや。
これからも、皆様のさらなご多幸をお祈りいたしております。
本当にありがとうございました。
光啓 九拝
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