仏の種
清浄の本心とは、言葉を変えていえば仏性である。
仏性とは、すなわち仏となる種である。
レンズを手に取り太陽に向かい、もぐさを当てて火を求めたときに、火はどこからやってくるのであろうか。
太陽とレンズとは遠く遠く離れている。けっして手の届くところに太陽はない。
しかし、太陽の火がレンズを縁とし、もぐさの上に現われたことは疑いを入れない。
また、もしも太陽があっても、もぐさに燃える性質がなければ、もぐさに火は起こらないはずであろう。
いま、仏を生む根本である仏性のもぐさに、仏の智慧のレンズを当てれば、仏の「火」は、仏性を開く信の火として、人びとのもぐさの上に燃え上がる。
仏の智慧のレンズ、もぐさという私たちひとりひとりの仏性、すべてが相まって世をあげ信の火が燃え上がりだす。
この世界は、一人一人の心が作り出し生み出した、想像し、創造する世界である。
『首楞厳経』
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(追記)
おはようございます。 昨日は、高野山で執り行われた御師僧様の「検校法印」(寺務検校執行法印)第五百十八世寺務検校執行法印の拝命式に列席させていただいてきました。
法印とは、真言宗の開祖 宗祖弘法大師の名代(代理)して山内で執り行われる一切の重要な法会等の御導師を務める最高の僧位をいいます。
法会は粛々と無事に執り行われました。
とても厳かで、とても感慨深いひと時となりました。
十年以上前になりますが、金剛峯寺での自身の得度式を懐かしく思い出しました。
これからも、日々さらなる仏道修行を積み重ねて精進してまいる所存です。
御師僧様のさらなる御活躍を末弟ながらお祈りいたしております。
皆様方の益々のご健勝とご多幸をここに。
光啓 九拝
※ 撮影:高野山にて 第五百十八世寺務検校執行法印法会(2017年3月13日)
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