死ぬ瞬間

この世の命あるものすべてにはいつか必ず「死」が訪れる。これは生きとし生けるものすべてが避けることのできない「理」(ことわり)である。


「死」とは一体何か。


仏教には、「四有」(しう)が説かれています。 これは、一つの「生」がたどる四つの段階のこと。また、私達の「存在」を四つの状態であらわしたものです。

  

■ 生有(しょうう) : 生命が誕生する瞬間  

■ 本有(ほんう・ほんぬ) : 生存している状態  

■ 死有(しう) : 死ぬ瞬間  

■ 中有(ちゅうう) : 次の生を受けるまでの状態  


さらに、仏教では六道輪廻(ろくどうりんね)が説かれています。我々衆生が死後に自身のカルマ(業:ごう)によってたどる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)です。六道の間を生まれ変わり死に変わりしながら、迷い続けると・・・



ある世界的に高名な精神科医はその著書の中で、人々が「死」を受容していく過程について「否認・怒り・取引・抑鬱・受容」といった精神的な段階を経験しながら「死」を徐々に受け入れ、現実世界との「完全な断絶」を自覚し、自身の精神エネルギーを一切の対象物から完全に引き離し・・・やがて「最後の瞬間」を迎える。


もし、仮に私達が今のこの瞬間、突然に「死」を迎えたなら、 本当に一切の煩悩を断ち切ってすみやかに心静かに、死を迎えることができるのでしょうか。


やはり、執着や未練を断ち切れないままの「残念無念」の状態で・・・ 


「今日」という日は、昨日でも明日でもありません。


この一瞬、一瞬の積み重ねが”今日”です。


怒りや憎しみ悲しみや嘆きの心に縛られ続けず、貪瞋痴(どんじんち)の三毒から遠く身を離す。


「死の瞬間」とは、それはまさに一切のものに執着せず、すべてのものを解放し手放す「真の勇気」を得る瞬間、新たなる道がそこから始まる瞬間なのかもしれない。


 合掌

Buddhism ascetic priest

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